ROAD TO 「バレンタインプロデュース」

第1章 バレンタインプロデュース企画編

ACT1 「バレンタインプロデュース」はこうして始まった

クリスマスのスタードームも終わり、ゆっくり正月を過ごした後の1月中旬・・・

すべてのはじまりは、江藤代表の「CAT 20 Century(略してCATトニセン:ぶっちゃけ30歳以上)で2月に何かイベントしませんか?っていうよりやれ!」という温かいお言葉からでした。

早速、CATトニセンでアイデアを募集したのですが、そこは黙して語らずを美徳とする30歳以上の確信犯集団!完全犯罪を目指し、そのまま放置しておこうとしたのですが、CAT Coming Century(略してCATカミセン:30歳未満)の捜査のメスにひっかかり、企画を提案せざるをえませんでした。そこで提案された案の一つが「バレンタインプロデュース」だったのです。(ちなみに、その他には「節分に超ロング巻き寿司を作ろう!」などの案も出ていました。)表面上の大まかな内容は、バレンタインデーに何かしらの告白をしたい方を募集し、その応援がてら、素敵なシチュエーションを演出する。そして、その一連の流れをビデオ録画し、応募者にプレゼントして喜んでもらうという、どこかのTV番組にありそうなものでした。また、そもそもこの企画のタイトルは、CATカミセンの一部もよく見ている某TV番組をパクったものでした。

そういうこともあり、CAT本会議にこの企画を提出したところ、案の定可決された次第であります。

何はともあれ、このようにして、「バレンタインプロデュース」はスタートしたのです。


ACT2 その時、歴史は動いた!

早速、応募者を募るためホームページに掲載しました。(なんと現在も「最新情報」に残っています。今見ても、ほっぺたがほんのり桜色になりそうな甘酸っぱい内容の広告です。)しかし、CATの存在が知られていない、ホームページも立ち上げたばかりということで、予想どおり(確信犯!)応募が全く来ない日々が続き、また、CAT内部でも、「この企画で一体、何がしたいの?」といった意見も出始め、企画自体このままお蔵入りかと思い始めた矢先に事件は起きたのです。

「バレンタインの乱」(2005年1月:福岡県太宰府市)

CATホームページの「掲示板」で、この一向に進まない企画について、業を煮やした方々から火の手があがり、ついに開戦の幕がきって落とされました。(「掲示板」No.65以降参照。)

そこでは、空間を越えた熱い議論が交わされ、阿鼻叫喚こだまするなか、なんとか意思統一を図ることができたのです。(本当の話、この時期に掲示板に投稿していただいた方々には、感謝しております。みなさんの叱咤激励により、一段とやる気が出てきました。本当にありがとうございます。)

でも、応募は来ない・・・どうすっべか?と思い悩んでいた、その時、ついに依頼がやってきたのです。


ACT3 どうしようもないCATに天使が降りてきた

依頼主は太宰府市内にある筑紫女学園大学に通う村田さん・中村さんのお二人でした。現役女子大生2人からの依頼ということで、複雑な三角関係か!?とも思いましたが、実際は違いました。その依頼内容というのは・・・

村田さん、中村さんが所属している、主に学生を中心としたボランティアサークル「みかさがわピカピカ大作戦」(略して、みかピカ。太宰府市の中心を流れる御笠川にゴミを当たり前のように捨ててゆく人、それを無関心に受け止めている人々がこの作戦を目や耳にする事で、少しでも何かを感じ取ってくれたら・・・という思いで2003年4月26日に発足。また、清掃だけでなく、ボランティアに関するさまざまなイベントにも参加しています。)、実は村田さん、このサークルの実行委員長なのであります。そして、村田さんの前のリーダーで、みかピカの発起人でもある中島くん(大学4年生。今春卒業。川掃除にはみかピカ立ち上げ前から携わっているとても熱い男です。信念は「無関心と戦う」という事。アントニオ猪木好き)へ思いを伝えたいとのこと。

なぜ、このような話になったかというと、村田さん達が中島くんとの最後の「みかピカ」活動を終えた際、うまく労いの言葉がかけれず、ぎくしゃくしてしまった。また、中島くんの友達からの情報によると、中島君は逆に「学生としてのみかピカ活動は一区切りとして終わるが、あとに残った学生達はしっかりやっていけるだろうか、大丈夫だとは思うが一抹の不安が・・・」との気持ちを抱いており、みかピカ内部で、気持ちのズレが生じていた現状を説明してもらいました。

これを聞いた我々CATメンバー、こんな素敵な活動をしている「みかピカ」の窮地を救おうと奮い立ち、バレンタイン企画成功させましょうと、村田さん・中村さんと手を取り合ったのでした。

つづく


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